スピリチュアルな業界といえば、真っ先に思い浮かぶのが「占い」だ。
しかし占い師でもない人がスピリチュアル関係の発言をすると、場合によっては「怪しい」「危ない」といった印象を与えてしまうかもしれない。
占いやオカルトなど、スピリチュアルにハマる人は少なくない。しかも、中高年になってから、「目に見えない世界」に没入する人もいるため、中には悪徳業者によって被害を受ける人もいるのだ。
そういった背景から、スピリチュアルはマイナスイメージを持たれやすかった。
しかしこの先、スピリチュアルが見直される日がやってくるのも、そう遠くないだろう。
目次
社会的マイノリティが活躍できる社会へ
スピリチュアルが見直されると、社会的マイノリティも肩身の狭い思いをしなくて済むのだ。
マイノリティとは、社会的少数派を指す言葉だ。
民族や宗教、LGBTなど、少数派の対象は多数存在している。もちろん、スピリチュアル業界もその中の一つと言えるのではないだろうか。
スピリチュアルが見直されることで、社会的マイノリティが活躍できる社会を作り出していくのだ。
【解決したい課題】
社会的マイノリティが活躍する社会を実現する
民主主義は多数決が原則のため、本来ならマイノリティの意見は反映されにくい。何%からがマイノリティにあたるのかはわからないが、全体の5%しかいない考え方や価値観が、民主主義社会の中でどれだけの意味があるのか軽視されているのだ。
とはいえ、昔と比べてマイノリティは声を上げやすくなったことには違いない。さらにマイノリティが活躍する社会を実現することが、いま求められているのではないだろうか。
【そう思ったきっかけは?】
これから「風の時代」が来ると言われている。スピリチュアル界隈では有名である。
しかしこのような、どちらかといえば一般寄りなものでさえ身構えてしまう人は多いのかもしれない。
私は哲学や思想と同じようにスピリチュアルもとらえてみれば、科学と同じような「世界を説明する方法のひとつ」だと考えている。
なぜなら私は大学で仏教学を学んだが、とても哲学的ですばらしい学問だと思ったからだ。
そもそも仏教学は学「問」なので信仰とは違い批判や検証もありうるものだ。それと同じように、スピリチュアルもアカデミックにとらえることはできないだろうか。
というのも、私たちはただ有機物の集合体で、電気で臓器が動くだけの存在だと説明されたら悲しすぎるからだ。
物質が充実したいま、次は豊かな精神をもつことに目を向けるのもいいのではないかと考えたのである。
【何がそうさせているのか?】
スピリチュアルと聞いて、いいイメージを感じる人はどれくらいいるだろうか。
「怪しい」「詐欺」「心の弱い人の駆け込み寺」「非科学的」という印象を持つ人の方が多いのかもしれない。しかしこれは、宗教やカルト、哲学、占い、精神世界などをすべて混同して考えているからではないだろうか。
また残念なことに、スピリチュアル能力があるといって注目を集めたがる人が多いのも問題だ。
現代、特に日本では、スピリチュアルな事柄を信じる者は軽蔑され、茶化されるならまだしも危険視されてしまうことすらある。
しかし、スピリチュアルを強く否定する人の多くもまた、科学を妄信しているに過ぎない。
原爆やホロコーストで使われたのは科学であり、それによって発展したのも科学であった。
取り扱いによっては危険なものという点では同じである。
さらに、これまでに名を残した科学者においても、スピリチュアルな感覚から研究を発展させた例があったと言われている。
ただ、科学がどんな人にも公平に事実を示すのに対して、スピリチュアルは正確に把握しきれない。ある程度信じている人でも、一部の能力者、つまり社会的マイノリティだけの話であると考えているのではないだろうか。
我々庶民には扱いの難しいものである。
【既存サービス、取り組みについて】
日本人は、もともと豊かな精神世界をもつ民族であると思っている。
アニミズムや自然崇拝は西洋にもみられ、人々の生活の中に息づいていた。
しかし一神教が興ったあたりから、世界を宗教を通して見る国と、日本のような国とで大きく分かれたのではないだろうか。
日本人が神仏習合できたのは、宗教心に欠けるからでは決してなく、そもそも八百万の神という概念があったためであろう。
そんな大らかな日本にも、宗教戦争が起きたり戦争で宗教心を利用された過去があるが、そもそも権力と結びついた宗教団体と、宗教そのものは別に考えなくてはならないはずだった。
しかし戦後の反省にはじまり科学第一で物質主義の時代が続いたことで、日本人の精神世界は貧しくなってしまったのかもしれない。
スピリチュアルな考え方は怪しいもの、というある意味当たり前になっている思考回路は、いったい誰から与えられたものなのか。
陰謀論などに偏るのは良くないが、Youtubeなどでそれらを考察している動画を観るのは楽しい。当たり前を今一度問いただしてみると、本来の日本人の姿がみえてくるのかもしれない。
【だからこうした方がいいんじゃないか?】
スピリチュアリストという社会的マイノリティの話に耳を傾けてみよう。
そしてスピリチュアルを、日本人の感覚で解釈してみる。
海外のスピリチュアルをそのまま娯楽として楽しむのもありだが、日本人の感性をもってすればそこから色々なことを読み取れるのではないだろうか。
宇宙とは仏教のことであり、自然とは神道のことであり、星の動きは陰陽道であるならば、そこで生きる人間が行う政治や経済の動向も、それらの法則の中にあるのかもしれない。
当たるも八卦当たらぬも八卦の占いとして捉えるでも、不確かな統計学として捉えるでもなく、頭にこびりついた法則をいちどはがし別の法則から世界をとらえなおすことで、より人類は発展できるのではないか。
なにやら壮大な話になってしまったが、日本人でいえばそれらを大喜利として楽しめる素養をもっている。
これからの時代が「風」だとすれば、どんなトンチのきいた答えを自分は出せるだろう。
【なぜそう考えるのか?】
「風の時代」とは、スピリチュアルというより占星術の話なのだが、このようにスピリチュアルは広義で遣われるため理解がしづらくなっているのかもしれない。
しかし、そこを分けてロジカルに語るスピリチュアリストも増えてきた。
以前よりも個人で配信できる環境が整ったことで、テレビなどでは伝えきれなかったり怪しい占い師としてのキャラを演じるはめになったりという障壁がなくなったのだろう。
そしてそのことによって、インチキなスピリチュアリストへの批判も耳に入りやすくなった。
ポジショントークには気をつけなければならないものの、どの人の話が妥当かは見えやすくなり、今後はただ妄信する人も減るのではないか。
そもそも、宗教や占いにハマってしまうのはその人自身が問題を抱えているケースが多いのではないかと思う。
スピリチュアルは弱った時に頼りたくなるものの、これからの時代は心身ともに健康な時に向き合うことで変なバイアスがかかるのを避け、自由な思考に活かせるようになるのではないだろうか。
20XX年、スピリチュアルが見直される
2021年、スピリチュアルが見直される
スピチュアルが見直されるとはいえ、のめり込みすぎるのも危険だ。適度な距離感をとりつつ、本来の日本人の姿を見れるような姿勢をとっていきたいところである……